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上海マダムの優雅な生活
2000.7.10〜12.20

2004年3月の思い

結婚後、私は1年半ほど上海で暮らしました。
住みだした当初は中国語もまったくできず、音楽活動もできず、友達もおらず、
ダンナや家族のおかげで、なに不自由なく楽しく暮らしていたけれど、でもやっぱり退屈でした。
そんなとき、ある友人が「私の友人が作っているホームページに日記を載せない?」と提案してくれました。
そして書き始めたのがこの『上海マダムの優雅な生活』です。
ハンドルネームは「上海マダム・こゆう」。私の「こゆう」という名前は、この時からのものです。

文章を書き掲載したことで、上海での生活が前よりカラフルになりました。
私の大切な日々の記録を、友人たちに楽しんでもらうこともできました。
しかしなにより大きかったのは、文章を書くことが私にとって、仕事になったこと。
いま現在は、編集や執筆など文章に携わる仕事で収入を得てはいませんが、
書くことは私にとって、音楽と同様、生涯続ける「心の仕事」です。

上海は私にとって、家族みたいな街です。
好きなところもあるし、嫌いなところもあるけど、
もはや好きだ嫌いだと単純に分類してしまえるものではなくなってしまいました。
家族のように、永遠に絆で結ばれているもの、と言ってもいいかもしれません。
さして長く住んだわけでもないのにそんなふうに思うのは、
上海人と結婚し、上海人の親戚たちと深く関わったことが大きいのでしょうけれど。
バスの乗り降りでもみくちゃにされ、いつのまにかニセ札をつかまされ、
なんだかイヤなめにあって落ち込むことがあっても、私は上海という街を愛しています。
大きなパワーとたくさんのチャンスを私に与えてくれた、懐の深い街、上海。

日記を書き始めた当初は、1人で街歩きもできなかった私ですが、
その後、地図を手にどこへでも1人で出かけ、値切り倒して買いものができるようになりました。
いま日記を読み返すと、徐々に自分が上海に馴染んでいくさまが見て取れます。
このページに来てくれたあなたに、できれば最初のほうから読み進めていただけると、嬉しいです。
なお、あくまでも日記ですので、校閲はしていません。
ですから、現地の文化に関する記述や物事の解釈などが正確性に欠ける場合も、もしかしたらあるかもしれません。
その点をご了承いただきたいと存じます。(できれば間違いをご指摘いただけますと嬉しいです!)

私にとって大きな意味をもつ日記掲載を提案し、協力してくれた友人たちと、
この日記を読み、上海に暮らす私を励ましてくれた友人たちに、とても感謝しています。
この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました!

上海マダム・こゆう




2000/12/20(水)
 - 水風呂を強要されているT君の話。

ライター仲間のT君は、中国人ルームメイト2名と暮らす19歳だ。
彼のルームメイトのひとりは、水風呂で蓄のう症が治ったらしく、“絶対水風呂派”だ。
彼らの家には湯沸かし器がなく、みんな悲鳴をあげつつ行水をしているという。
T君が「お湯を使おうよ」というと、
絶対水風呂派君に「そんなことではTは堕落するぞ!」と一喝されるのだそうだ。
冷水の引き締め効果のせいかどうか分からないが、T君のお肌は真っ白でツルツルだ。
ちなみに絶対水風呂派君は、夏場は“熱いシャワー派”に転向するらしい。

秋も深まった頃にこの話を聞いた時はびっくりした。
今日聞いたら、最近は彼ら3人もお湯を使っている、という。
「さすがに死んじゃうよ」と。
そりゃそうだ。上海の冬はひどく寒いし、水は氷のごとく冷たいのだ。
その冷たさたるや、歯磨きだってできないくらいだ。
蓄膿も堕落も、命には代えられない。

ところでT君は、仕送り無しで暮らしている。
今は月給で働いているので、それなりにお金もあるが、
ちょっと前まではフリーライターだったので、極貧生活だった。
そのころ、「食費は1日に3元なんですよ〜」と教えてくれたことがあった。
近所の小吃店で、1食0,5元のお粥を日に3回食べ、
残る1,5元でミニペットボトルの飲み物を買う、という毎日だ。
会社の重役と会う仕事が多かった彼は、それでもいつも、パリッとスーツを着ている。
小吃店の売り子の女の子は、そんな彼を見て、貧乏だとは想像だにしない。
「ねー、なんでいつもお粥なの?栄養ないじゃない」という女の子の質問に、
まさかお金がないとは言えず、
「接待でいつもカロリーが高いものを食べているからね。健康のために」と、
辛い言い訳をしていたそうだ。
「お粥のネギがいつもよりたくさん入ってるっていうだけで、
ああ〜ラッキー!って思いますよ」というT君、きみはなんて偉いやつだ!
日本にもこういう若者がいるんだなあ。私も負けちゃいられないよな。





2000/12/13(水)
 - 御葬式。

おじいさんの御葬式。
言葉ができない私は、義母にもおばあさんにも、なにも言ってあげられない。
辞書を調べて用意した言葉なら、言わないほうがましだ。
こんなときの私には、相手に「触れる」ことしかできない。





2000/12/10(日)
 - クリスマスコンサートに出演。

おじいさんが亡くなったという時に、
コンサートなどに出ていていいものかと思ったのだが、
孫世代はすぐさま駆け付けるというのでもないらしく、
本当に出ていいと言われたので、それなら、と出ることにした。
コンサート終了後、姉夫婦と待ち合わせして、おじいさんの家にいくことにした。

リハーサルがあるので、午前中から会場のガーデンホテルへ。
私は人前で歌うとき、リハーサルは緊張しても本番になると全く緊張しないタチだ。
ましてや、大勢でのコーラス。リハだって緊張するわけがない、と思っていた。
ところが、リハ中からなぜか声がかすれてきてしまった。
気持ちはまったく緊張していないのに・・体だけ緊張してるのかな?
大声を出したわけでも、長い間歌ったわけでもないのに・・。
本番では、ちゃんと声を出そうとしたら割れてしまうので、
ほとんど囁くような声で歌った。
まさに、「参加することに意義がある」状態になってしまった。





2000/12/9(土)
 - おじいさんが亡くなった。

ダンナの、母方の祖父が亡くなった。
夏頃から体調が悪く、一時は1ヶ月以上も点滴だけで命を繋いでいたのだ。
何度か危篤と言われていたが、若い頃から体が丈夫だったので、ここまで頑張ったのだ。
日本人が経営する工場で働いていたこともある人だった。
私が上海に来た時にはすでに、
脳溢血のため、あまり物事が分かっていなかったのだけど、
私が孫の嫁で、日本人だというのは分かってくれていた。
宴会のときも、なにも喋らず車椅子でボーっとしているのだけれど、
私が手をとると「アリガトウ」と言ってくれたことがあった。





2000/12/8(金)
 - モデル事情を探る。

私は朝が遅い。
ダンナが運転免許の講習のために、朝6時頃に起きていた時は、
私も早起きしていたけれど、あれから半年たち、ネットが繋がり、
ライターの仕事を始め、ヨメだという緊張感も薄れたこの頃では、
起きるのはいつも昼頃だ。ダンナも、昼までは起きない。

まだベッドのなかにいる午前中に、会社から電話がかかってきた。
「ライターのT君が急病なの。今日の取材、代わりに行ってもらえるかなあ?」
実は今日は締め切り日だ。
前回の日記に書いたように、私にはまだ完全に仕上げていない原稿もある。
頼まれた取材は、モデルの女の子とその先生のインタビューだ。
モデル!一体なにを聞いたらいいんだろ??ちょっと不安だ。
でも、この取材は特集記事のものだ。
今までこういうのは書いたことがないし、やってみる価値はある。
原稿の締めきりを少し先に延ばしてもらい、
編集長にもインタビュー内容を考えてもらうことにして、取材することに決めた。

取材先は、ただのモデルクラブとは違って、大学のモデル学科だ。
いざ相手に会ってみると、面白くていくらでも質問がでてきた。
中国の大学は入学が難しいのだが、モデル学科の女の子たちは、
容姿端麗な上に表現力があり、しかも学力優秀でなくてはならない。
大学では、モデルとしての訓練だけでなく、ファッションデザインも学び、
卒業後は、デザイナーや広告企画ディレクター、テレビアナウンサーなどになるという。
「モデルだけでは先が無いですからね。将来にそなえるんですよ」
「学業第一、ショーは二番目です」と先生。
大学生モデルたちには、食事制限もとくに無いようだった。
先生も「身長によって体重を決め、あとは各自で気をつけるんです」といい、
女の子も「何を食べても太らない体質なの。他の子もみんなそうだと思うわよ」という。
彼女たちは、モデル業に対する執着もさしてなく、
卒業後もモデルを続けていく人はほとんどいないそうだ。
たまたま美しかったから、それを生かしてモデルをやっているという感じだ。
モデル業よりも、素敵な人との結婚や会社経営のほうに興味があるらしい。

東京にいた時、18歳くらいのモデルの知り合いがいた。
彼女は身長が173センチあったが、ちょっとがっちりした体格だった。
彼女は、45キロまで体重を落とせ、とモデルクラブから言われていた。
45キロなんて、チビの私の体重だ。
骨が太そうな子だったから、内臓と皮だけになったってそれなりに体重はありそうだ。
絶対に体を壊してしまう。それに、どんなに痩せたって、
それだけで仕事ができるのはいったい何年間だろう?
上海の大学生モデルの管理者が、モデルたちの人生を大切にし、
厳しい現実に目をつむらずにいるのを見て、
東京のあの子がちょっと可哀想になった。





2000/12/4(月)
 - 家を建てたよパーティーに行く。

お義母さんのいとこが、無錫のそばの洛社というところに家を建てた。
田舎ではそんな時、親戚一同を呼んでまたまたパーティーをするのだそうだ。
お義母さんやおじさんおばさんは、朝早くから出かけていった。
お昼頃、汽車のなかにいるおばさんから電話が入る。
「ずっと家に居ても詰まんないでしょ、あんたたちもおいでよ!」
・・正直言って血の気がひいた。
8日じゅうに仕上げなければならない原稿に、まだ手をつけていない。
洛社へ行けば帰りは明日だ。この時期に2日間つぶすのは、かなり不安だ。
でも、行かないわけにもいかない。

こちらの習慣で私がいちばん馴染めないのが、あらかじめ約束をしないことだ。
「今から行くね」という電話すらせずに友達や親戚を訪ねるのは、
上海では普通のことらしい。
日本人の感覚では、たとえ何も特別な用事がなくても、
休日だからこそ自分のプランがある。
そんなとき急に訪問されたら、特別な用事があるわけではないので、断るに断れない。
結局、思い描いていたプランは実行できない。
だから、約束せずに人を訪ねちゃいけない。
日本人のこの常識は、上海では通用しない。

内心かなり不機嫌だったが、ともかくも汽車に乗る。
上海から汽車で1時間半、その後バスで20分。そう遠くはない。
ついたところは、ペンションそっくりな構造の大御殿だった。
入ると1階にはまず広いホールがあり、
カラオケボックスの部屋みたいなリビングと台所、バストイレ。地下には駐車場。
2階には・・いったい幾つのベッドルームがあったのだろう。4つ?5つ?
各部屋にトイレまたはバストイレ付きだ。
ビリヤード台を置くため以外の何ものでもない、という感じの部屋もあった。
これはどう見てもペンションの造りだ。家族で住むには贅沢だなぁ。
極め付けが、オール紅木の階段!!
椅子やテーブルを買ったってものすごく高価な紅木が、なんと階段に使われている!
「綺麗な家ですね」とは言ったが、実は私はこの手の贅沢にまったく興味がない。
この家の若夫婦の息子がいずれお嫁さんを貰い、
親子3代、4代で住むことを考えて作ったのだろう、という想像はつく。
しかし、御殿を建てたからには、まともな本屋もないこの片田舎に
子供も孫も住まなきゃいけないなんて、私だったらイヤなのだ。

その日の晩御飯が、「家をたてたよパーティー」かと思っていたら、
それはなんと前夜祭だった!
食事がすむと、私達は近くのホテルへ退散。
いくらベッドルームがいっぱいあっても、全員は泊まりきれないからだ。
ホテルは・・ひどかった!うす汚い部屋にシングルベッドが3つ。
エアコンはあるがリモコンもなく、どうやらただのお飾りらしい。
寒くてたまらない。あまりの寒さに耐えきれず、
ダンナと私はひとつのベッドに一緒に入り、煎餅布団を3枚かぶって寝た。

そして翌日の昼。
結婚式も真っ青、40卓の大宴会が、近くのレストランで行われた。





2000/11/28(火)
 - ニセ札をつかまされた!!!

コーラスの練習に行く前、バスの乗り換え地点のパン屋に寄った。
どこへ行くにも道のりが遠い私は、よく途中でおやつを買うのだ。
3つ入りで3.6元のパンを買おうとして10元札を出すと、
店員のおばちゃんは、お札をくしゃくしゃと揉みながら
「チャッピイ、チャッピイ」と言って、にやにやしている。
チャッピイ?なにそれ?もしかして・・ニセ札!?
取りあえず小銭をだしてパンを買う。
おばちゃんは私の出した10元札を返してくれた。
店を出てよくよく見ると、なるほど紙質がちがう!
透かし模様のおじさんも、いるべき所にいない!!
やられた。おとといのコーヒー店だ。世界各地にある、有名なチェーン店なのに。
家に帰ってダンナに見せると、「こんなの、触ればすぐ分かるじゃん」という。
そうなんだけど、これまでニセ札のことなんてなんにも意識してなかったからなぁ。
M美ちゃんに話すと「あたしも貰ったことあるなぁ。でも、どこかで使いかえしたよ」。
さすがM美!上海では何ごともこうじゃなきゃやっていけないのだ。
私にはその勇気はないが、今度からおつりは全部ちゃんとチェックしようと心に決めた。





2000/11/10(金)
 - あわや試食で殉職・・?

12月号のクリスマス特集を一緒に作っているM美ちゃんと、
洋食を取りれた和食の店(しかもシェフは中国人)を取材に行く。
アボガド巻き寿司が絶品!しかし、ひと皿110元!!
自費で食べることは絶対になさそうだ。
牛ステーキも出てきたが、肉がかなり堅かった。
ナイフを貰おうかと思ったが、試食なのに店員さんの手を煩わすのも気が引ける。
ちょっと大きめの肉を頬張り、飲み込もうとしたら、見事に喉に詰まってしまった!
オシャレな店で吐き出すわけにもいかず、飲み下そうと頑張ることしばし。
M美ちゃんは御馳走に夢中で気がつかない。
なんとか飲み込むまで、時間にして10秒ほどだったのだろうが、
それはそれは永かった。
ほんとうに助かってよかった。
試食してて殉職なんて、カッコ悪過ぎて成仏できない。





2000/11/4(土)
 - バイクタクシーに乗って帰宅!

夜10時半ごろバス停についてみると、最終バスはとっくになかった!
ここで乗れなければ、どこかまで歩いても、もうどのバスにも間に合わない。
どうしようかな。諦めてタクシーかな。
(最近の私は一人でタクシーにも乗れるのだ!いざとなったら筆談だが。)
そのとき、バス停の横にバイクを止めているおじさんが何ごとかを話しかけてきた。
おじさんの手には、自分用ではない、ふたつめのヘルメットがある。
おお!これはときどき見かけるバイクタクシーだ!!
どうやら「どこまで帰るの?」と聞いているらしい。
私は自宅の場所を告げ、「多少銭?(いくらで行ってくれる?)」。
おじさんは「40元だね」。
う〜ん。タクシーよりは安いはず。ちょっとこわいけど・・まぁ大丈夫でしょ!

私はブカブカで役に立ちそうにないヘルメットを頭にのせ、
バイクは軽やかに走り出した。
道すがら私は、「私のダンナは上海人です」「上海はいい所ですね」と
ヘタクソな中国語でおじさんに話し掛ける。
実はこれは、たまに私が使うささやかな護身術だ。
「こいつを騙すのは可哀想だな」と思ってはもらえまいかという、
性善説に頼りきった甘ちゃんな護身術なのだ。
(効果のほどは定かでない。逆効果かも知れない。)
しかし、おじさんはいい人だったらしい。
 
 おじさん「上海の男と日本の男、どっちがいい?」
 私「上海の男性のほうがいいな」←半分ヨイショ
 おじさん「上海の男は家庭を大事にするだろ?そうじゃないかい?」
 私「そうそう!」
 おじさん「おじさんにも日本人の女性をひとり、紹介しておくれよ」
 私「あはは!(おじさん、独身だったのね・・)」

バイクですいすい、20分ほどで到着。おじさんにお礼を言って、家に帰る。
バイクタクシーで帰ったと言うと、家族一同驚き、呆れ、爆笑し、感心し、心配して、
危ないからもう絶対に乗っちゃだめ、と釘を刺された。
そりゃあそうか。交通事故が起こったらバイクではひとたまりもないし、
万が一おじさんが悪人だった場合、大変なことになる。
しかも、40元ならタクシーと大差ないのだそうだ。
最初の言い値は高いのだ。値切れば30元くらいになるらしい。
ま、でも一度乗ってみたかったんだ。おじさんとの会話も楽しかったし。
けど今後は言いつけを守って、バイクタクシーには乗らないことにしよう。





2000/10/3(火)
 - 盆栽園のRさん。

今回の旅でなにが一番印象に残ったかと言えば、もちろん、盆栽園のRさんのことだ。
紅園という盆栽園では、素晴らしい盆栽をたくさん育てている。
Rさんはそこの偉い人なのだが、本当に親切でやさしくて、
そして盆栽を心から愛しているのだ。
Rさんは盆栽園を巡りながら、盆栽の流派や形について詳しく説明してくれた。
私もダンナも、それまで盆栽にはなんの興味もなかったのだが、
Rさんの熱心な説明は分かりやすかったし、美しい盆栽がたくさんあったので、
とても面白かった。そうやって園内をまわっている、その最中だった。
にこやかだったRさんの全身から憎悪が吹き出し、
目にもとまらぬ速さで盆栽から何かをつかみ取り、それを地面に力任せに叩き付けた。
見ると、大きなバッタがコンクリートの上で潰れている。
Rさんは何ごともなかったかのように、にこやかに盆栽の説明を続けてくれた。
私はRさんの豹変ぶりに、かなりびっくりした。
一瞬とはいえあんなに激しい憎悪、しかも何が起こったのか分からないままに
それを感じ取ったのは、初めてだった。





2000/10/2(月)
 - 取材旅行で揚州へ!

上海からバスで3時間半、揚州という古都へ取材旅行に行く。
私一人ではもちろん不可能、社長はダンナと行っていいと言ってくれた。
婚前旅行(死語?)も新婚旅行もなかった私たち、
二人だけで行く初めての旅行が取材旅行とは!
この日の晩は、開催中の芸術祭の演目のひとつである、
コンゴとギニアの国家舞踏団によるアフリカンダンスショーを観た。
いろんなパーカッションのいろんなリズムがからみ合う音楽が大好きな私は、
もうそれだけで心踊るのだが、揚州の人たちには今一つ受けないようで、
演奏中に席を立って帰る人が目立った。
国家舞踏団は、観客の嗜好を考慮してか、中国の民謡も歌っていた。
そのときはなかなか受けていた。
フィナーレの、全員揃っての挨拶の時に、
観客たちはアンコールもせず、さっさと帰りはじめた。
国家舞踏団の人たちは、びっくり拍子抜けという感じだった・・というのは、
私の気のせいだろうか。

後日の書き足し:
のちに見たほかのコンサートでも、誰もアンコールをしないので、
ダンナにわけを聞いてみた。
なんと、中国ではアンコールをすると、かえって失礼にあたるのだそうだ。
なぜなら、ダンサーや歌手はずっと演じ続けて、もう疲れているのだから。
「もっとやれ」とは言わないのが、中国流だとか。
ううむ・・そうだったのか。一種の思いやりだったのね。
でも海外からきたアーティストは、アンコール分の演目を必ず用意しているから、
舞台から一度引っ込んでも、手拍子しなくちゃ。
客席の電気がつかない限りは、ね。
(2001、8/8)





2000/9/25(月)
 - ダンナの誕生日。

我がダンナ君はこの日、29歳になった。
中国では、お母さんのお腹の中にいる時から年令を数えはじめるので、
オギャアと生まれたその時点で1歳。ダンナは30歳ということになる。
中国では節目節目の誕生日は、これまた盛大に祝うんだそうで、
去る23日の土曜日に、親戚一同が集まってパーティーをやった。
パーティーはいつものごとく、ワイワイと賑やかに盛り上がる。
私はちょうど飲み物が切れている時に乾杯を迫られ、
「これでいいよ、ハイ、乾杯っ!」と手渡されたのが、
そばにあった、誰かの飲んでいた赤ワインのグラス。
赤ワインを一気のみなんて、いくら私がワイン好きでもつらすぎる・・。
しかもワインに油は浮いてるし、グラスはさんざん汚れているしで、
気持ちは嬉しいけど、ちょっと哀しくなってしまったのがホンネだった。

さて25日には、二人でどこかに食事に行こう、ということになった。
選んだのは、日本式の焼き鳥屋。
これまた遠いのだけど、バスを乗り継ぎ、夜9時前になって探し当てた。
カウンターには10席くらいあったろうか。こぢんまりとしてきれいな店だった。
店の主人のJさんは、我がダンナのより更に太い金のネックレス、
女性ものなんじゃないか?と思うくらい大振りな金のピアスをした、
人が良さそうな30代の男性だ。
日本で焼き鳥を焼いていたことがあるという。
Jさんとの話も盛り上がり、うまい焼き鳥を食べ、焼酎を飲む。
店を11時半に閉めるとJさんは、「今日は誕生日だから」といって、
私達を広東料理店に連れていってくれた。
夜中の2時くらいまで飲んだろうか。
タクシーで家に辿り着いたのは、3時ごろだった。
ダンナはどうやら、飲み過ぎたらしい。
だいたい彼は、酒は好きだが強くはないのだ。
アル中を自認するJさんと乾杯するうちに、限界を越えてしまったようだ。
ビール、焼酎、赤ワインと、続けざまにいろいろ飲んだのも良くなかったらしい。
Jさんと知り合えて、とても楽しい誕生日だったが、
ダンナは翌日まる一日、ベッドのなかで過ごすはめになってしまった。





2000/9/20(水)
 - 上海の結婚パーティー。

猛暑が去り、最近また爆竹の音をよく聞くようになってきた。
耳をつんざくあの音は、近所に結婚するカップルがいることをあらわす。

今日は、日本人男性・A君と上海人女性・Jさんの結婚披露パーティーだった。
Jさんは義姉の中学・高校時代のクラスメートだ。
日本で大学を卒業し、就職し、このたび結婚もした。
ダンナも私も、日本で仲良くしてもらい、なにかと世話にもなっている。
さてさて私達は、親戚以外の人の前に夫婦として出席するのはこれが初めて。
なんだか不思議で、ちょっとだけ新鮮な感じだ。
半年ぶりに会うJさんは、早くも幸せ太りか、ぽっちゃりとかわいらしかった。
お母さんのお手製の、真っ赤なチャイナドレスを着ている。A君はスーツにネクタイ。
二人はお揃いの赤いバラのブーケを胸につけていた。
Jさんの左手の薬指には、A君の手作りの指輪が光っている。
パーティー会場はホテルの小宴会用の部屋。大きめの円卓がふたつ置いてある。
身内と数人の友人だけを呼んでの、ささやかなパーティーだ。

上海の結婚式は、大抵の場合なかなか大変なのである。
私達のときを参考に、書いてみよう。
ハナヨメは朝っぱらから厚化粧をし、ウエディングドレスを着て、
お迎えに来た新郎とともに彼の実家へ行く。(ここでまず、爆竹をバンバン鳴らす。)
バラの花で飾り立てた結婚カーから新郎宅までの地面も踏んではならず、
周りの人々が2枚のゴザを進行方向に交互に置いてくれるので、その上を歩く。
(今日ではこれは省略することが多いみたい。私もしなかった。)
辿り着いた家の玄関には、‘喜’という字が横にふたつ並んだ「シー」という漢字の
赤い切り抜きが貼ってある。・・玄関だけではない。
新婚ルームの窓ガラス、たんす、冷蔵庫、チェスト・・あらゆる所に貼ってある。
さらに赤いリボンがテレビや電気スタンドなどなどに結んであって、
つまりは部屋じゅう新婚ムードなんである。
そして、玄関や窓ガラスに切り抜きが貼ってあるということは、
ご近所中に新婚であることがまる分かりだ!!
日本人としては、「ひ〜、恥ずかし〜い!」という感じだが、
上海人はこの飾り付けで「結婚したんだなぁ」という実感が湧くんだそうだ。
この飾り付けは、ぼろっちくなって修復不可能になるまでずっとしたままだ。

さてさて、新婚ルームにて。
まずは親戚の小さい男の子が、赤いバケツを持ってハナヨメのもとにやってくる。
「早く子供を生んでね」のセリフとともに手渡され、
かわりにハナヨメはお金の入った赤い袋を男の子に渡す。
赤いバケツにはゆで卵、干したナツメとリュウガン、お箸の束が入っている。
(これも新婚ルームに1ヶ月置いておかないといけないのだそうだが、
 私達のときは、しばらく経ったところで異臭に気付き、撤去した。)
それから、ナツメや白キクラゲ、あずき、ハスの実などの入った、甘いスープを飲む。
なぜかというと、「新婚生活は甘いから」なんだそうだ!!
しかも、新郎新婦がお互いに食べさせっこするという、超スウィートなおまけつき。
ここまでがどうやら、日本でいう‘結婚式’にあたる部分らしい。

お次はまたもや爆竹をバンバン鳴らし、結婚カーで披露宴会場へ。
この晴れの日の一部始終(寝ぼけ顔で化粧されるところからずっと!)は、
専属プロカメラマンがビデオに納めているのだが、
会場へ行く前に景色のいい公園などで撮影会をしたりもする。
私達が行った公園には新婚カップルが何十組も来ていて、
そこらじゅうハナヨメだらけだった。
知らない人がみたら、上海では合同結婚式を挙げる習慣があると思うに違いない。
「池の周りを語らいながら歩いて下さい」などなど、カメラマンの指示に従い、撮影。
周りのカップルのなかには、映画のごとき熱烈なラブシーンを演じる人たちもいて、
かなりびっくりだ。
上海人は写真に写る時もキメキメのポーズをとる人が多い。
日本人の感覚からするとかなり強烈なラブシーンの演技も、
上海人の感覚では普通なのかも。

撮影会が済んで披露宴会場に着く。私達はホテルの宴会場を借りた。
新郎新婦は入り口で、来てくれるお客さまをひとりづつお迎えする。
ここで、赤い袋にはいった御祝儀を渡してくれることが多い。
お客さまみんなと、写真撮影。中国の人は写真が好きだ。
「アタシはここで、アンタはこっちよ!」
「あら、アンタがこっちのほうがいいわよ!」
ハイパワーな親戚たちが大騒ぎで写真を撮る。友人たちとも全員と撮る。
そうやってやっとこさ、披露宴が始まるのだ。

上海の披露宴はすべて、親戚たちの手作りだ。
式次第なんかも、司会をやってくれるおじさんが本番までに決めておく、という感じ。
私もダンナも、終始なにも知らないままだった。
つまり、細かいことには全くこだわらない。
スピーチなんかも非常にあっさり、あとはワイワイ飲んで騒ぐ。
しかし新郎新婦にはまだするべきことがあって、これが結構大変なのだ。
新郎新婦は、それぞれの‘お供’1名づつ(未婚の男女)を連れて各テーブルを廻り、
お酒を注ぎ、全員と乾杯・一気飲み。
飲めない場合は、お供が代わって飲み干さねばならない。
それから、新郎がお客さまに渡したタバコに、
新婦がマッチで火をつける、というのもあるのだけれど、
これもイジワルして吹き消されてしまい、なかなかつけられない。
同級生など若者のテーブルへ行った時はさらに、
「これを二人で手を使わずに半分づつ食べること!」と、
つまようじに刺した白ゴマを差し出されたりなんかする。
私の場合は、外国人ということですべて大幅に加減してもらったが、
上海人同士の結婚式だとそうはいかないらしい。
酒豪の友人より先に結婚しなければ、大変なことになるんだそうだ。

披露宴の後は、ホテルまたは自宅の部屋で二次会。基本的には朝までだ。
ここでも‘つまようじの白ゴマ’系のゲームをあれこれやらされる。
ひもで吊るしたリンゴを手を使わずに二人で食べるとか、
もっとエッチっぽいのもあるらしい。
申し訳ないがこれだけはどうしてもいやだったので、
あらかじめ、ゲームは無しと宣言しておいた。
東京から来てくれた私の両親と友人たちを、明日以降も案内する予定があったので、
AM2時半ごろお開きにしてもらった。
私達は3部屋もあるホテルのスイートを借りていたのだが、
みんなが帰った後の部屋は、大量のお菓子のくずや飲み物のコップ、
踏まれてぐちゃぐちゃのバラの花びらなどで、恐ろしいまでの状態だった。
いくらなんでもこのままでは寝れないので、
義両親、ダンナと一緒にあらかた片付けて、シャワーを浴び、
翌朝のチェックアウトまでぐったりと眠ったのだった。
私達の場合は、結婚して随分たってからの結婚式だったが、
これが本当に新婚初夜だとしたら、なんとも色気のない夜だと思う。

・・とまぁ、こんな具合なんである。
日本の披露宴のような気疲れはないけど、これはこれで結構大変。
A君とJさんのパーティーは、ささやかだったけど、
二人とゆっくり喋ることができて、いいパーティーだった。
就職したての彼らには上海でゆっくりする間もなく、すぐに日本へ帰国してしまった。
今度あえるのは、たぶん来年だ。

これから極寒の冬がくるまで、結婚の爆竹は毎日どこかでバンバン鳴り響く。





2000/9/18(月)
 - 糖尿病。

お義母さんが糖尿病になってしまった。
2年前から予備軍で、薬を飲み続けるように医者に言われていたらしい。
しかし、病院も薬も嫌いな義母は、言いつけを守っていなかったのだ。
そして彼女は、びっくりするほどよく食べていた。
一回の食事でご飯を3杯くらい食べるのだ。
上海の家庭料理は、日本食にくらべれば油もかなり多いし、味付けも濃い。
しかし、とうとう本格的に注意しなければならなくなってしまった。
料理の味付けも薄めにし、砂糖を減らし、ご飯は一回の食事で1杯だけ。
急に食事を減らすのは、相当辛いと思う。
でも、しかたがない。





2000/9/7(木)
 - イスラム料理店でばったり!

ふしぎなもんだ。
中国人男性・Oさんとは、いつも妙なところでばったり会うのだ。
彼はダンナと私が東京にいたときからの知り合いだ。
5月に私の両親を連れて杭州に旅行したときも、観光名所へ続く山道でばったり!
今日は、ライター仲間と行ったイスラム料理店で
隣のテーブルにやってきたのが、ほかならぬOさんその人だった。
これだけたくさんのレストランがひしめきあう上海で、
同じ店の隣のテーブルに知り合いが来るなんていう確率は、とてつもなく低い。
二度あることは三度ある、という。
Oさんとは、この先も‘ばったり!’をくり返すような気がする。





2000/8/26(土)
 - コーラスグループの練習を見に行く。

うちの近所では私以外に日本人は皆無のようだが、
上海には実はかなりの人数の日本人が住んでいる。
同じ趣味を持つ人たちでつくられたサークルや、
県人会、同い年会(?)などもたくさんある。
日本語雑誌にもよく載っている、コーラスグループを見学に行ってきた。
実は私は、中学3年からの4年間、コーラス部に所属していた。
最近はジャズやソウル、ブラジル音楽が好きだが、クラシックの声楽も嫌いではない。
上海にいるあいだ、久しぶりにクラシックを歌ってみようか、と思い立ったのだ。
古北という地区の幼稚園で、かの日本人コーラスグループは練習をしている。
その辺りへ行くのは初めてなので、ダンナがつれて行ってくれた。

リーダー格の人に紹介され、周囲のひとびとに挨拶をしつつ、着席。
「見てるだけじゃなくて、歌って下さいよ!」
手渡されたミサ曲の楽譜をみていると、向こうのほうで誰かが私を呼んでいる。
なんだろ・・。また誰かに紹介されるのかな。
立ち上がり、会釈をしつつ近寄ってみると、
なんと編集部の営業担当、熱血兄貴のSさんがいる!!
聞けば彼はここのメンバーで、前回のコンサートにも出演したとか。
どこからどう見ても肉体派の彼。まさかこんな所で会うとは思わなかった。

さて、ミサ曲“キリエ”の練習だ。
にこにこ明るいリーダー格のおやじさんは、
「クリステエレイソン、これは気をつけて歌わないと、
キリストがえれえ損した、みたいになっちゃうからねっ、はっはっはっ!」
などなど、冗談を連発。練習の雰囲気は和やかだ。
この日は夏休み明けだったからか、女性メンバーが全員欠席、
テノールの男性が私につきあってソプラノパートを歌ってくれた。
我がダンナくんは・・私を連れてきただけのつもりが
楽譜を持たされ、男性メンバーのなかに引っぱりこまれて、
読めないおたまじゃくしをぼんやりながめている。
あまりにも久しぶりに歌ったので声は出なかったが、たのしかった。

練習が終わって、おやじさん、Sさんを含む6人と、
ダンナと私でご飯を食べに行こう、ということになった。
会場から程近い、‘家常菜(家庭料理)’の店へ。
店の人に「オカエリナサイ(日本語で)」と言われているところを見ると、
どうやらみんなは常連らしい。(なんだかスナックみたい・・。)
ところがこの店の家常菜、おそろしく辛かった!
辛いもの好きの私でもたくさんは食べられないほど、ラー油がつかってある。
御馳走してもらったのでここだけの話だが、
うちのお義父さんのほうが、料理の腕はずっと上だ。
そして値段も、家常菜だというのに、結構いい料理店並みに高かった。
高級マンションが建ち並ぶ地区なので、ものの値段も高いのだな。
地元上海人の家庭で暮らし、地元上海人のおすすめの店に連れていって貰える私は、
この辺りで暮らしているたくさんの外国人よりも、
きっと毎日おいしいものを食べているに違いない。
そう思って私は、内心密かにほくそ笑むのだった。






2000/8/22(火)
 - 買い食い天国、上海!!

上海に来て感じたことのひとつに、
「歩きながらものを食べている人が多いなぁ。」というのがあった。
アイスキャンディー、スイカ、メロン、とうもろこし、あんず飴、ごま団子、
羊の串焼き、牛モツらしきものの煮込み、味付け玉子、肉まん・・。
ざっと思い出してみても、これほどたくさんのものが
路上で食べることを前提にそこかしこで売られている。
片手で食べられるものだけではない。
おしゃれした女の子が颯爽と歩きつつ、
お椀に入った、ぜんざいのようなものを食べているのを見たこともある。
上海では、これはごく普通の光景だ。
夏場はバスの中にも、アイスキャンディー売りのおじさんがやってくる。

決してお行儀のよいことではないが、ここは上海!
人に迷惑のかからない場所でなら、ダンナも私も、たまに路上で立ち食いする。
いちど食べて病み付きになったのが、羊の串焼きだ。
家から程近い五角場という繁華街に専門店があり、
そこではみんな、焼きたてをその場で立ったまま食べる。
あまりにも美味しくて、ダンナと私はビールが欲しくなり、
五角場じゅう冷たいビールのある店を探しまわり、
やっとのことで一軒みつけて、缶ビールを購入、
串焼き屋まで引き返して、また食べた。それくらい美味しいのだ!

中国の月見シーズンの食べ物といえば、月餅。
日本人にもお馴染みの、あんこやいろんな木の実が入っているもののほかに、
肉入り月餅というのもある。
ダンナはこれが大好きで、むかし一度に5個も食べたとか。
本日夕方、南京路にいたダンナと私は、程近い場所にある有名な月餅屋さんに
その肉入り月餅を買いにいこう、と思いたった。
南京路ですでに、香港式肉入り月餅と、
あんこ(砂糖味)と卵の黄身(塩味)入り月餅を歩き食いしていたのだが、
ダンナの好きなあの月餅は、香港式とはぜんぜん違うのだそうだ。

月餅屋さんの前で、ひとりのおじさんが椅子にすわっていた。
店に入ろうとするダンナに、なにか訊ねる。
ダンナの答えは、「マッ。(ないよ)」だった。
なんだろう、あのおじさん。よく銀行の前にいる、闇両替え商のような感じ。
ダンナも私も外国のにおいがするらしく、闇両替え商にはよく声をかけられる。
しかし、まさか月餅屋のまえで?
ダンナにおじさんの正体を尋ねると、なんと、月餅券のダフ屋!!
(ダフ屋といっても、月餅の定価より高く券を売ったりはしないとのことだが。)
社員へのボーナスとして、ここの月餅引き換え券を配っている会社があり、
その券のダフ屋なのだそうだ。
今に始まったことではない。人は替わっても、昔からいるとのこと。
「お金の儲かることは、誰かが必ずやってるよ。」と、ダンナは事もなげに言う。
それにしても、引き換え券のダフ屋が儲かってしまうほど名高い、ここの月餅・・。
今日はもはや販売終了、なにひとつ残っていなかった。
私の次なる買い食いターゲットはもちろん、ここの月餅に決定である。






2000/8/16(水)
 - 高級マンションを取材!

夕方5時。編集室で営業担当さんと待ち合わせ。
営業担当のSさんは、角刈りでがっしりした、見るからに熱血タイプのお兄さんだ。
自己紹介などしつつ、タクシーを拾いに通りへ出た。
どちらのマンションから見に行くんですか、と尋ねると、
Aマンションを見て終わりにしましょう、とのこと。
あせった私がよくよく聞いてみれば、Sさんはこの仕事の締め切りが
あさってだということを知らなかったのだそうだ。
先方さんと、Aマンションだけを見せてもらう約束になっているのだろう。
彼も、痛いなぁ、という顔をしている。
さあ、困った。Bマンションは見れないのかな。
「日本語の資料もあると思いますんで・・。」とSさんは言ってくれたが、
ただでさえ、どう書いたらいいのか分からないというのに、
実物を見ずに資料を見ただけで、文章なんて浮かばない。
初仕事への不安が、一気に倍増した。

ともかく、ひとつめのAマンション。
今回私が書くふたつのマンションを手掛ける会社の、T氏と会う。
Aマンションは、ホテルとの複合型だ。
ホテルのロビーで、まずは話を聞き、資料をもらった。
Bマンションの日本語の資料はなかった。いったいどうなってしまうのか。
写真付きの中国語のパンフは持っているが、これだけで書くことになるんだろうか。

Aマンションは、素晴らしかった。
ホテルとマンションの間に、クラブハウスがオープンしたばかり。
ビーチバー付きのモダンなプール、各種マシンの揃ったジム、もちろんサウナあり。
シガーバー、ダンスフロアのあるカラオケバー、カラオケボックスもある!
豪奢に飾り立てるのではなく、どこもシンプルで明るくて清潔な感じだ。
あのプールで泳ぎ、ビーチバーでシャンパンを飲む図を想像する。いいなぁ。
私はすっかりAマンションのファンになってしまった。
Aマンションを見学するうち、SさんがT氏にこう切り出してくれた。
「どうですかねぇ、このあとBマンションも見せていただけますか?」
T氏は、みなさんにお時間があるなら、と快諾してくれ、
Bマンションも見れることになった。よかった!

Bマンションは、どちらかといえばファミリー向きだ。
しかし、ここも単なるマンションではなかった。
スポーツ施設は、プール、ジム、スカッシュ、テニス、卓球、ビリヤード、サウナ。
外国の雑誌が読める閲覧室があり、各戸にコンピューターネットワークを敷設。
敷地内の幼稚園では英語やパソコンの授業も行い、
大人のための各種文化教室も開講している。
棟々の間は、緑いっぱいの公園になっていて、バーベキュー場までついていた。
Bマンションはおそろしく大規模なプロジェクトで、最終的にはこの辺り一帯が
同様のハイレベルな住環境をもつ、ひとつの街になるのだそうだ。
すごい!すごすぎる!!こんなの、日本では絶対あり得ないんじゃないかな。

見たことがないものを見れて、その世界の人にいろんな話を聞けて、
おまけに食事時だったりすると御馳走までしてもらえる、
ライターとはなかなか魅力的な仕事だなぁ。
しかしこのあとの私には、翌日の昼までに原稿を仕上げて送信し、
それから編集部の定例会議にでるという、ハードスケジュールが待っていたのだった。
世の中おいしいことばかりという訳にはいかないのだな、これが。






2000/8/14(月)
 - 無料タウン誌の編集部へいく。

毎月五つ星ホテルでもらってくる、フリーペーパー。
いちばん楽しみにしている日本語の無料タウン誌が、
フリーライターを募集している。
私にできるかどうか分からないけれど、話だけでも聞いてみよう。
だめだったら、雑誌の自宅への配送サービスをお願いしてきちゃえ、と
取りあえず連絡を取り、今日、面接にいってきた。
「社長にも会うことになると思います。」と言われていたので、
タイトワンピの上からジャケットを着て、なるべくかっちり見えるようにした。
その存在すら忘れ去っていたストッキングも途中で購入、トイレで穿いた。
しかし、そんなことはまるで関係がなかったようだ。
面接という堅さは全くなく、ほぼ雑談のみ。
久々の日本人との会話に興奮し、私はマシンガンのごとく喋りまくった。
相手は社長と編集長だというのに・・。
そして、「まぁ、書いてみないとどんなだか分からないでしょうし・・。」と、
いきなり仕事をもらってしまった!新築マンションの記事をふたつも!!
しかも、明日かあさってのどちらかで取材し、しあさっては会議に出席、
その翌日には締めきり、というハードスケジュールだ。
しかし、チャンスがあったら何でもやってみないことには、埒があかない。
大丈夫なんだろうか、と思いつつも、
中国語で書かれたマンションのパンフレットを貰ってきてしまった。






2000/8/13(日)
 - 我が家のアイドル、チャリティーイベントに出る!

我が甥っこのRくんは、オババカを抜きにしても、かなり愛らしい子供だ。
7月にテレビの子供番組に出演したのだが、
並々ならぬタレント性を発揮し、番組全編にわたって大活躍。
夏休みはどこに行くの?というインタビューには、
「ヨーロッパにいくんだ!(もちろんただの夢)ヨーロッパのお船がすきなの!」
と瞳を輝かせ、みごと“今週のハッピー・ベイビー”に選ばれた。
そして先日、番組から1本の電話が。
Rくんにチャリティーイベントに出演して欲しい、というのだ。
日曜日の今日、義姐夫婦とRくん、そしてダンナと私の5人は、
早起きして、上海の銀座通り・南京路へ。
広場にステージが設けられ、始まる前からたくさんの見物客でごった返している。
楽屋として使われている建物に入ると、
30人ほどのハッピー・ベイビーと親たちが集まっていた。
ベイビーたちは番組のロゴ入りTシャツに着替え、帽子をかぶって待機。
親たちは自分のベイビーが暑くないようにと、扇子や帽子でパタパタ扇いでいる。
(大人がぐるりを取り囲んで壁をつくっているから暑い、という気がするが。)
Rくんは、テレビ出演のとき一緒だったかわいらしい女の子と手をつなぎ、
まんざらでもない、という表情をしている。
いよいよ出番だ。ベイビーたちがステージに上がる。
客席は、ものすごい人だかりだ。
ベイビーたちがしたことといえば、ハッピー体操などの体操を数回と、
みんなに言いたいことを一言、マイクで発言しただけ。
それでも客席の子供たちはステージのベイビーたちと一緒になって体操し、
なかなかどうして盛り上がっている。
ロゴ入りTシャツや、番組のキャラクターのぬいぐるみもかなり売れたようだ。
医療機関を主な対象に、寄付するらしい。
さて、気になるRくんの‘みんなに一言’だが、
早起きしてすっかり疲れてしまったらしく、
「トンツーメン、シンクーラ(みなさん、お疲れさま)」と、本当に一言のみ。
・・私がRくんの歳のときには、いちばん目立つポジションを密かに欲しがり、
自分が注目されているときは格好つけることを忘れない子供だった。
Rくんはといえば、目をこすりこすり、あくびをしている。
あわや子供タレントとしてデビューか、と思っていたのだが、
どうやら本人には全くその気がないらしかった。

PS:後日ダンナに聞いたら、そのセリフはなんと、中国のとある偉い人が国民をねぎらう時にいつも言うものだそうだ! Rくん、やはり末は大物か!?・・あるいはコメディアンか・・??






2000/8/11(金)
 - 日本に関する、誤った情報。

“中式烹調師・初級”という中華の調理の教科書。
巻末に、世界各国の料理の特色や人々の嗜好、
人口、宗教、あいさつのしかたなどなど、
なかなか詳しく触れている項がある。この本によると、
「日本人は食事の際に調味料を多く用いる。
自分の調味料セットがいきつけの店のテーブルに置いてあり、朝に晩に使用する。
それゆえテーブルや店を変えることを好まない。」
・・ちなみに、日本人のきらいな色は、緑色だそうだ。





2000/8/7(月)
 - きょう一日の行動レポート。

今日も、上海図書館へいくことにした。
ラッシュを避け、10時頃からでかける。

AM11時。バスに乗って外をみていたら、
横を過ぎる車が、どん、とバンパーを落としていった。
車道を歩いていた青年は、すばやく飛び退いたので、
さいわい怪我をせずにすんだようだ。

AM11時半。五つ星ホテル2軒に侵入。
目的は、フロントに置いてあるフリーペーパーだ。
無料とはいえ、オールカラーのちゃんとした雑誌で、
日本語のものや英語のもの、何種類もある。
上海では輸入雑誌は値段が高く、ばからしくて買う気になれない。
私は毎月、これらのフリーペーパーを楽しみにしている。
コーヒーの一杯も飲まずに本だけもらってくるのは(トイレもよく借りる)、
ちょっと気が引けなくもないのだけれど、なにしろホテルのコーヒーはお高いのだ。
最敬礼でお迎えしてくれるドアマンに「Thank you!」と笑顔で応え、
泊まり客にみえるよう、できるだけ堂々と振る舞うようにしている。
でも、いいかげん顔を覚えられているに違いない。

PM12時半。図書館に着く。
またも日本のパソコン雑誌に没頭。
日本の書籍コーナーへもいってみたが、あまりそそられない品揃えだった。
“日中関係基本資料集”や、“情報処理ハンドブック”のなかに、
なぜか、“地球の歩き方・フィリピン”があった。
日本人留学生が寄付していったのでは?と思われる本が、そのほかにも数冊あった。
図書館内の書店をのぞく。
風雅な挿し絵のついた、こどものための漢詩の絵本が何冊もあった。
いつか、手にいれよう。
学習誌の付録のような、こども向けの短編民話集を買った。
すべての漢字にピンイン(中国語の発音表記法)がふってある。
甥っこにではなく、自分用。勉強になりそうだ。

PM4時。さらに別の五つ星ホテルに侵入。
いちばん欲しかった、日本語のフリーペーパーがあった!
8月にはいったばかりなので、今日はいろんな種類が手にはいった。
がんばった甲斐があったなぁ。

PM4時半。地下鉄の駅の入り口に、大きな書店を発見。
飽きもせず、フラフラとはいる。
雑誌コーナーで、“ELLE”中文版をみつけた。
手にとると、‘足指まくら(ELLEのロゴ入り)’が付録についていて、驚いた。
さすが中国、健康に気を使う国民性が、随所にあらわれている。

PM5時。人民広場前で、ダンナと待ち合わせ。タイ料理店へいく。
運良く、月曜日の今日は食べ放題・飲み放題をやっていた。
トムヤムクンスープ、グリーンカレー、ハルサメサラダ・・・
タイ料理は、私にとっては麻薬のようなもの。
4ヶ月ぶりの大好物を食べつつ、
こんもりと泡ののった、冷たいビールをジョッキで飲んだ。
ふと周りをみると、お客は西洋人がほとんどだ。
メニューも英語版しかなく、中国人客も英語で店員と会話している。
店員同士はタイ語だ。どうやら全員タイ人らしい。
なんだか、西洋人のパックツアーに混じってタイにきたみたい!
・・料理はおいしく、店員さんも感じのいい人たちだ。
食べ放題だし残しちゃ悪いな、と、またもやがんばって食べすぎてしまい、
具合が悪くなる一歩手前までいってしまった。






2000/8/5(土)
 - 五星奨の‘素敵なおばさん対決’。

土曜の昼下がり。テレビで、“五星奨”という素人対戦番組をやっている。
歌や踊りなど、さまざまな種目で先週のチャンピオンと挑戦者が競い、
一週勝ち抜くごとに賞金がもらえる。
チャンピオンにも挑戦者にも、決まって四ツ星か五ツ星がつき、
そのあと、点数で勝ち負けが決定する際も、
両者とも必ず80点台後半以上の数点差で競り合うという、極めて平和な対戦番組だ。
ところがこの番組、対戦種目がおもしろい。
‘素敵なおばさん対決’という、日本では絶対にあり得ない種目もあった。
40代半ばから後半くらいの女性が、
まずはおしゃれファッションで、ステージを練り歩く。
つぎはトーク。会場の人々と審査員を前に、身ぶり手ぶりも加え、表情も豊かに話す。
最後は、歌だ。カラオケをバックに、得意の曲を披露する。
いきいきとして気品があり、年相応の魅力にあふれている、というのが
どうやら審査基準のようだ。
上海は、女性がとても元気な街だ。仕事も家事も男女平等だし、
結婚してもミニスカートで街を闊歩、友だちと夜遊びにも出かける。
よく喋りよく笑い、歳をとってもその表情は若者のようだ。

中国語において、親戚の‘おばさん’にあたる言葉は、
純粋に‘自分の親の姉妹’と‘親の兄弟の奥さん’をさすのであって、
日本語のように、‘もう若くない’というニュアンスは含まない。
たとえ子供でも、おばさんにあたるのであれば、おばさんと呼ばれる。
(年配の女性一般をさすことばは、また別に存在する。)
昨年12月、甥っこに、生まれて初めて「オバサン!(日本語で)」と呼ばれた時は、
正直言って、ちょっと複雑な気持ちがしないでもなかった。
しかし今では、「オバサン!」「あいよっ!」「オバサン!!」「なんだいっ?」と、
もうすっかりオバサンしている。(しかも、なんだか下町系。)
中国語で‘奥さん’のことをちょっと下品にいうと、‘老婆(ラオポー)’。
‘カアちゃん’というようなニュアンスだ。
初めてオバサンと呼ばれたそのひと月後に、
ダンナと私は婚姻届を提出し、私は老婆と相成った。
あと倍も生きれば、その頃には私もすっかり、日本語でいうところの老婆だが、
自分の基準で五ツ星のおばさん、五ツ星の老婆になりたいもんだ、と思う。

ところで昨日、西武の松坂投手は見事、やってくれた!!
しかし今日は義兄が遊びにきたので、出かけるのはやめにし、
松坂投手の今後に期待することにした。
これからは毎日、インターネットのプロ野球速報を見なくてはならない。





2000/8/3(木)
 - 松坂投手の健闘を祈る。

あの、美味しい<日式・焼肉>の店、店名は“松阪”という。
日本語のフリーペーパーに、広告が載っていた。
見ると、「西武ライオンズの松坂投手が勝利投手になった翌日は、
肉料理50%OFFにしております。」とあるではないか!!
インターネットのスポニチのページに、早速アクセス。
明日は・・対オリックス戦がある。先発は松坂!
オリックスの先発はカルロスだ。
ダンナと私は、「カルビ・ロースで“松阪”だ!!」と、
あさっての<日式・焼肉>に期待を抱くことにした。
プロ野球にまるで興味のない私も、こうなったら話は別だ。
松坂投手、がんばれ〜!!





2000/7/31(月)
 - 素敵なジャズ?ナイト。

夕飯のあとダンナと、ライブバーへいくことになった。
先日カレーセットを食べた、あの店だ。
ほんとうは明日いこうと言っていたのだが、
ダンナが友人と会う約束が急きょ明日になってしまったので、
今日つれて行ってくれることになった。
9時前に店に入ると・・おやおや、お客さんいないじゃん。
まぁ、月曜だし、こんなもんだろう。
ライブは9時半からだという。今日はジャズ!
アメリカ大使館のそばにある店だし、結構いけるんじゃないかな。
上海で上手いバンドって、まだ見たことないからなぁ。
・・徐々にバンドメンバーらしきひとたちが店にはいってくる。
思っていたより年配で、さらに期待がアップした。
いよいよステージ開始。ドラム、ベース、ピアノ、サックスの4人編成だ。
演奏は・・はっきり言って、おそろしく下手だった。
間違えておかしな音を弾いたり、メンバーのひとりが先走って半拍ずれたり・・。
おいおい、こりゃあ、大学のサークルの一年生並みだよ。
あ〜、がっかり。ブルータス、お前もか・・。
おや?・・これは、“あかはなのトナカイさん”!!
日本ではクリスマスにしかぜったい演らない曲だ。
お次は、誰かがリクエストしたらしい、台湾のドラマの主題歌。
そして、ついにはクラシックの名曲、
ヨハン・シュトラウス作曲の“美しく碧きドナウ”!!!
私が日本人であることに気付いたのだろう、
内山田洋とクールファイブの、“長崎は今日も雨だった”まで
泣きのサックスでサービスしてくれた。
演奏レベルはともかく、これはこれでなかなか楽しめてしまった。
しかし、私の‘ジャズで遊べる店探し’の旅路は、
どうやらはるか長〜い道のりであるようだ。





2000/7/30(日)
 - 上海の宴会は「食べて、食べて!」

今日は、義姉のだんなさんのお母さんの、60歳のお誕生パーティーだった。
親戚一同が大集合しての宴会は、私ももう幾度も経験している。
ダンナと私が上海にきてすぐの頃は、それこそ毎日のように
今日は何々おばさんのうち、明日は誰々おじさんのところ、
次はどこそこのレストラン・・という具合で、
ダンナも私も、胃薬を飲みつつ宴会に挑んでいた。
なにしろ、上海の宴会はすごいのだ。
‘食べる’ということに対する考え方が、まず違う。
日本では、出されたものを残さず食べることがよしとされているが、
上海では、残してよい。残るのが普通だ。
だれもが好きなものを好きなだけ食べれるように、という配慮からか、
どう考えても食べきれないほどたくさんの料理を注文する。
テーブルのうえになにも料理がないのは、どうにも落ち着かないのだそうだ。
そして、だれかのお皿になにも料理がのっていないと、
これまたどうにもこうにも落ち着かない、らしい。
相手がお客さまであればなおさらで、
客人のお皿に料理をどんどん取ってあげるのが、上海式のおもてなしである。
・・これが、なにを意味するか。
異常に食べ過ぎることを意味するのである。
第一、言葉のできない私は宴会のあいだ、食べる以外にすることがない。
(ホームパーティーであれば、それは4〜8時間続いたりする。)
出てくる料理はどれも美味しいものばかり。
そのうえ品数が多い。20品30品、どんどん出てくる。
どれも味を見ずにはいられない。
さらに追い討ちをかけるのが、前述のカルチャーギャップだ。
ああもうお腹いっぱい、これで終わりにしよう、と思っていても、
あっという間に自分のお皿に料理が盛られてしまう。
残してはいけません、と教育されてきた日本人としては、
ついついがんばって全部食べてしまう。
もういらない、と言いつつ私がきれいに食べるので、
遠慮していると思われるのだろう、またもや料理が盛られてしまう。
日本での習慣を断ち切らないことには、延々これをくり返すことになる。
度重なる宴会のなかで、私は徐々にコツを覚えた。
とにかく、自分のお皿になにか料理をのせておくこと。
殻つきのカニとか、嫌いなものとか、ついうっかり食べてしまわないものがよい。
カニは、食べるのに時間がかかるわりに量がないので、休憩したいときに便利だ。
そして、味見できなかった料理があっても、よしとすること。
自分のお皿にとったものを食べ残すのも、よしとすること。
これを覚えてからは、胃薬の世話になることもなくなった。
周りもいまでは、さして私に気を使わなくなってきたし。
それでも、「食べて、食べて!」とはいつも言われる。うちでも言われる。
私が一定のペースでがっちり食べ続けていても、
「食べて、食べて!」「ゆっくり食べて!」「もっと食べて!」
「お腹いっぱいだったら無理しないでね。」「食べて、食べて!」・・
とにかく、言わずにはいられないようだ。(ダンナでさえ、そうだ。)
・・ところで中国には、こんにちは代わりのあいさつとして、
「ツーファンマ?(ご飯食べた?)」というのがあるという。
特にたずねているわけではない。ただのあいさつだそうだ。
ドリフのようだが、これが中国。
中国の人は、世界一食い道楽なんじゃないだろうか。
贅沢というだけではなく、素材を無駄なく使い、おいしく食べるための調理法も、
とてもよく研究され、文化として一般に浸透している。

はなしがすっかり長くなったが、今日の宴会も無事、終了した。
もちろん、どう考えても食べきれないほどたくさんの料理を注文したのだが、
そこは遠慮のない親戚どうし。
余ったものはお持ち帰りにしたので、どうぞ御心配なく。





2000/7/29(土)
 - プールへ泳ぎにいって・・。

義姉夫婦とその5歳の息子と、ダンナと私の5人で、
近所の屋内プールへ泳ぎにいった。
心音と血圧に異常がないか検査され、合格証をもらう。
上海は、この手のことにはなかなか厳しいようだ。
監視員も、こども用プールに1人、25mプールには4人もいる。
若かりし頃、私はプールで監視員のアルバイトをしていたことがある。
もちろん救助法の訓練などしていたが、身長150cmの私に
本当に溺れている人を助けられるのかときかれたら、申し訳ないが答えはノーだろう。
せいぜい6〜8歳のこどもまでだ。12歳にもなれば、体格は私と変わらない。
上海は男女平等で、日本ではまず男性しかやらない・やらせてもらえない仕事でも、
当たり前に女性がやっている。
しかし、プールの監視員は男性のみで、私のような小柄な女性は見あたらなかった。
水深せいぜい1.8mほどのプールであれば、監視員の条件としては、
泳げることよりも、背が高く力が強いことのほうが、本当は大切かもしれない。
・・ほんとうは、私がやってはいけない仕事だったなぁ、と思う。
でもあのバイト、楽しい思い出がいっぱいなんだけどね!





2000/7/27(木)
 - 初めてひとりで遠出した!

ついに‘ひとりで遠出する宣言’をした。
日傘、辞書、おやつの梅干しをもって、いざ出陣。
きょうこそ、上海図書館へいくぞ! いきなり、かなりの遠出だ。
ダンナの外出にあわせて、朝8時前に家を出た。
図書館のある駅に着いたのは、10時前。
朝食を抜いていたので、早めのランチをとることにする。
夜はジャズのライブをやっているという店で、チキンカレーセットを注文。
単品サイズのサラダ、上海では生野菜を食べる機会が少ないので、うれしかった。
カレーは、ちゃんと洋風で、かなり美味しい。
なぜかスープのみ、肉団子入り中華味。
これでコーヒー屋のクロワッサンサンドセットより安い!
しかもこの店、雰囲気がとてもいい。
木造りで3階まで吹き抜けになっていて、灯りはステンドグラスだ。
こんどはライブを観にこよう。

図書館ではまず、会員カードの申し込みをした。
中国語ができないので、英語と筆談だ。
「我想閲覧外文雑誌」。どうにかなるもんだ。
磁気カードができるまでの仮カードをもらって、4階の外国雑誌コーナーへ。
雑誌といっても、化学系・工業系の真面目な専門雑誌がほとんどで、
音楽やファッションに関するものはなし。
それでもパソコン誌はいくらかあったので、
夢中で読んでいたら、あっという間に3時間ほどたってしまった。
新聞のコーナーを見たら、日本の新聞各紙の一週間前までの朝・夕刊がそろっていた。
その業界の人しか存在すら知らないであろう、
“日本文具新聞”、“セメダイン新聞”などというのもおいてあった。

夕飯の頃には帰る、と約束していたので、3時に図書館を出る。
散歩もかねて歩いたり、地下鉄やバスに乗ったりして、6時過ぎにうちに着いた。
ダンナも、私がひとりで出歩いても大丈夫、と安心してくれたようだ。
今日は、すべて大満足の一日。





2000/7/26(水)
 - これが上海式・・!!

ゲームセンターで、コラムスに似た、
‘同じ色のコマを3つ以上並べると消せる’ゲームをした。
初めてのゲームだったが、なんとか2面クリアしたところで、
私の横に女の子がきて、おなじ機械にコインをいれた。
対戦モードになってしまい、私のゲームはあっけなく終了。
こんなのあり?とハラがたったが、これが上海式だそうだ。
2人で遊べるものは、2人で遊ぶ。
兄弟姉妹で遊んでるんじゃないんだけどなぁ。
混んでるゲーセンには、二度といくもんか。





2000/7/25(火)
 - ハズレの一日。

だいたい、今日という日はハナからついていなかったのだ。
前から行きたいと思っていた、上海図書館。
その規模はアジア第3位、日本の雑誌もいろいろ閲覧できるという。
夜8時半まで開いているということなので、のんびり出かけたら
外国書籍閲覧コーナーは5時までだった。
バスを乗り継ぎ、2時間もかけて行ったのに。
本はあきらめ、この近くにあるという、ワインショップへ行ってみた。
しかし、どうやら代替わりしたらしく、違う店名になっていて、
そのうえそこも閉店した様子。

今日の目的は、なにひとつ達成できないまま、
ダンナとふたりぶらぶらと散歩する。
外食するつもりではなかったのだが、
歩いているうちにお腹がすいてしまい、予定変更。
なにを食べるかさんざん迷った末、洋食屋へ行くことにした。
有名な、老舗の洋食屋さん。どんな味だろう。
日本において西洋料理店と洋食屋が違うように、
この店の料理も、長い年月を経て上海風にアレンジされた、
なつかしの味がするのだろうか。
しかし、ついていない日はどこまでもついていないもので、
出てきた料理はおそろしく妙な味わいだった。
上海人であるダンナも、まずいと言っていたので、
上海風なつかしの味、というわけでもないらしい。
<日式・焼肉>の日には会話もはずんだのだが、
今日はふたりとも無口になってしまった。





2000/7/23(日)
 - 80年代アイドルに変身!

東京にいるとき私は、いつもの美容院のいつもの美容師さんにしか
絶対に切ってもらわないことにしている。
いつもの美容師・Yさんに切ってもらって、かれこれ13年。
いまではベテランの彼が、駅前でカットモデルを探していたときに知り合った。
13年間でほかの人に切ってもらったのは、ただ一回のみ。
上海に来る前も、「半年もつようにして!」と、強めにパーマをかけてもらった。
(ちなみに髪型は、かなり爆発してるけど上品な?スパイラルパーマ。)
今がちょうど半年で、確かにパーマももっているし、髪型もおかしくはない。
ただ、かなりの長さになってしまって(肩下10センチ位)、
暑いしめんどうだし、一時帰国まで、あと2ヶ月もある。
そこで、ついに髪を切ることにした。
夕飯の後、これまた近所の美容院へ。
7〜8センチ切って整えるだけのつもりが、美容師さん、
ガムをかみかみ、大胆にじゃりじゃりと削いでいく。
頭皮にダイレクトに伝わってくる“削ぎ感”に、私はさっさと覚悟を決めた。
途中であれこれいうと、きっと収拾がつかなくなる。
相手もプロだ。下手なことはしないだろう。
そして、30分ほどもかけてできあがった髪型は・・うん、結構かわいいじゃん。
かなり短くなったぶん、半年前のパーマも力を取り戻している。
だけどなんだか、80年代の“おとなアイドル”みたいだなぁ。
私自身も、学生の頃こんな感じのアタマをしていたので、
なんだか若返ったような気がしてしまう。
・・Yさん、びっくりするかなぁ。ごめんね、よそで切って。

テレビのニュースで、長江流域(の、どこだかは不明)で
フクロネズミが発見された、と言っている。
カンガルーをモルモットサイズにした、あれである。
有袋類ってたしか、オーストラリアにしかいないはず。
どこかから逃げ出したものでなければ、これはすごいことだ。






2000/7/22(土)
 - だまされた。

近所の商店で、チョコレートでコーティングした上に
砕いたナッツがふりかけてある絵のついた、アイスバーを買った。
袋をあけるとでてきたのは、
ホワイトチョコに黒胡麻をまぜて、塗ってあるアイス。
まんまと、してやられた。





2000/7/21(金)
 - ビールを注文するとき、忘れてはならないこと。

やってしまった。
追加のビールを注文するとき、我がダンナ君、
「冷たいのにしてね。」と小姐に念押しするのを忘れてしまった。
中国の人は、もともと冷たいものはあまり飲まない。
ビールもコーラも、常温が普通だ。
・・ということで、運ばれてきたのはぬる〜いビール。
もう抜栓されているし、がまんするしかない。
壁一面にすもうの絵の描かれた、<日式ラーメン>の店なので、
ダンナ君、ついつい油断してしまったのか・・。
・・中国の人は、ビールの泡も好まない。
お腹がいっぱいになってしまうから、だそうだ。
ウェイターさんたちは、泡をたてないようについでくれる。
適温に冷えて、なめらかな泡があふれんばかりのが、美味しいんだがなぁ。

深夜2時、「東遊記」という、八福神が主人公のドラマをやっている。
ゴールデンタイムのトレンディドラマでは、殺されかけて記憶を失ったり、
遺産が転がり込んで社長に就任したり、大忙しの人生を送っている同じ男が、
この時間になると、神様の一員として宙を舞ったりなんかしている。
・・中国では、七福神ではなくて、八福神。
日本におはなしが伝わる際、なぜかひとり減ってしまった。
いなくなってしまったのは、少年の神様だ。
両親の承諾が得られず、パスポートがつくれなかったか、
あるいは、子供ということでワーキングビザがおりなかったか。






2000/7/19(水)
 - パジャマの女性と、サイズ表示について。

ダンナが夕飯のお皿を洗ってくれているあいだに日記を書きはじめよう。
今日は、近所のスーパーで短パンを買ってもらった。
上海の夏はとにかく暑くて、ジーパンだのロングスカートだのははいていられない。
なにしろ、毎日34〜37度ほどもある。
脚の美しさには自信がないが、ここは一発、短パンをはくしかない。
ここ上海では、近所に買い物に出るのに、格好をつける人は皆無。パジャマのままだ。
もっとも、こっちではパジャマは、寝巻きというより部屋着の感覚。
若い女性がきれいなレースのパジャマで歩いているのをみて、
「おお・・!!」と思ってしまったのは、私だけ、だったようだ。(もう慣れた。)
ここでは、もはやそう若くはない私の短パン着用も、まるで問題無し。ラクだなぁ。

ところで、上海の“服のサイズ表示”は、ようわからん。
今日買った短パンは、「180/99A、XXL」というタグがついているが、
身長150cm、Sサイズ限定の私にジャストフィット。
この前水着を買った時も、「150cmなら、Lサイズです。」と言われた。
もっとも、SとMは一枚も置いてなくて、
L・XL・XXLの三種類だったので、まぁ、納得いくけど。
子供から大人までひっくるめての、サイズ表示なのかもしれない。
それにしても、短パンの「180」っていうのはいったいなんだ?
老若男女問わず、180cmあったらこの短パンははけないと思うのだが・・。






2000/7/18(火)
 - 人生を暗示するナインボール。

運動不足解消シリーズ第2弾、本日オープンの「高点台球広場」に出かける。
ビリヤードじゃあ、運動にならんという気もするが。
ダンナの友人、K君も誘って、ナインボールを楽しんだ。
私はひどいヘタクソなのだが、ダンナとの試合では2回とも勝った。
ダンナがさんざん玉を入れた後、9番の玉のみ私が入れる、という勝ち方だ。
うちらふたりの人生も、こうだったりして。
・・なんちゃって冗談だよ、マイダンナ、アイラブユー。





2000/7/17(月)
 - 中国語はうまくできている。

旅行から帰ってきてずっと、ダンナは胃がもたれぎみだ。
どうやら、島で海の幸をドカ食いしたのが尾を引いているようだ。
運動らしい運動も、このところまったくしていないし。
以前、ふたりでバドミントンを始めようとしたのだが、
風のない日は暑すぎてできない、風のある日は羽が流されるのでできない、という
ジレンマに陥り、結局2回しかやっていない。
運動不足解消のため、夕食後、「高点保齢球館」へ出かける。
「高点保齢球館」とは、「ハイポイントボーリング館」である。
「保齢球」で、ボーリング。なるほど、うまくできている。
ちなみに、石鹸のブランド、ラックスは「力士」と書き、
これに「労」がつくと、ロレックスになる。
高点保齢球館1Fは、明日オープンのビリヤード場で、最後の仕上げの最中だった。
広々として、なかなかいい雰囲気のビリヤード場だ。





2000/7/15(土)
 - ハイパーリッチなカラオケ店、その名も“キャッシュボックス”!!

先日の旅行の写真ができた、とのことで、ダンナの友人達と会う。
レストランで夕食の後、カラオケをしにいった。
このカラオケ屋は、上海で一番といわれる、超リッチテイストの店だ。
はっきり言って、度を超している。
入り口の両側では、ドアマン達が最敬礼でお出迎え。
超高級ホテルのような、フロントとロビー。涼し気な噴水まで設置されている。
広々とした階段を2階にのぼったところでは、
グランドピアノとバイオリン2本で、生演奏が行われている。
ヨーロッパ調の柱が並ぶ、長い廊下を過ぎて部屋に入れば、
大理石の台座におさまった巨大モニターと、曲目入力用コンピューター。
曲数も豊富で、日本の曲も全て揃っている。
フリーフードで、持ち込みも可。ただし、室料のほかにミニマムがある。

ダンナに、「発声練習したほうがいいよ。前と全然違う。」といわれた。
無理もない。普段しゃべる相手はダンナだけで、ハラから声を出す機会は皆無なのだ。
私自身も、おおいに危機感を感じている。
やばい、やばいぞ、なんとかしなくては・・。






2000/7/12(水)
 - <日式・焼肉>なるものを食す。

贅沢にも、夕食はダンナとふたり、外で焼肉を食べることにした。
焼肉は本来、韓国料理のはずだが、
日本に入ってアレンジが加わったあの焼肉は、
ここ上海では日本料理の扱いだ。
オーナーさんが日本人だったこともあって、
お馴染みのスタイルと味だった。
東京では週に一度は食べていた時期もある、というダンナは、
半年ぶりの焼肉と、大好きな焼酎に大満足の様子。
義姉は、ユッケの話に眉をしかめていたが。

ところで、上海には<日式>のものがいろいろある。
トンコツ味で、上海人にも人気の、<日式ラーメン>。これは美味しかった。
<日式ナントカ豆腐>という、玉子豆腐と五目の煮込みもあるが、
ナマコが入っていたりして、どう考えても中華な味だ。美味しいけど。
“東京中国飯店”というレストランでいただいたのだが、
この店に限らず、中華料理店に存在するメニューである。
純日本式、と銘打った指圧もあるが、
これは試していないので、どんなものだか分からない。
雑誌の広告には、「どんな愛のささやきよりも、効く!」と書かれているが、
本当だろうか。そんなに効いてくれても、困るんじゃないか・・?





2000/7/10(月)
 - 生きて還れて良かった!

ダンナの友だちと計8人で旅行してきた。
上海から船で13時間の、浙江省は普陀山という島。
船中二泊、現地一泊の旅だったが、なかなか盛り沢山で、たのしかった。
新鮮な(全て生きている!)海の幸をたらふく食べて、
いろんな伝説のあるお寺をめぐり、キレイな砂浜の海で海水浴。
こう書くと、非常に優雅な旅に聞こえるが、そういうわけでもない。
決してキレイとは言えない3等B船室での船旅は、なかなかハード。
帰りは、折悪しく台湾沖だかどこだかで台風が発生して、
欠航のはずが、大丈夫、とのことで出航することに。
途中大波で、船室の窓から水が入って荷物が濡れたりしたらしいんだけど、
私はぐっすり眠っていて、そんな騒ぎにまるで気づかずじまい。
酔い止めを飲んだせい、ということにしておこう。
しかしながら、こんな経験をしていながら見逃すなんて、もったいなすぎる!
・・ともかくも、生還いたしました。





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